土曜更新 日本史 内閣総理大臣編 今日は第三次桂太郎(在職1912.12月~1913.2月 写真は東京都立大(旧首都大学東京)2022入試問題)
第二次西園寺公望内閣が陸軍は辞任した上原勇作陸相の後任を推薦しなかったため、総辞職。このことを藩閥勢力(主に薩摩・長州藩出身者、当時は元老の山県有朋の影響が大きかった)の政権独占だと非難の声があがる。(桂太郎が内大臣と侍従長の職から転じて首相になったことが宮廷と行政府との区別を乱すという批判もあった)
立憲国民党の犬養毅(五・一五事件(1932年)で殺される)、立憲政友会の尾崎行雄を先頭とする野党勢力やジャーナリストに商工業者や都市民衆も加わり、「閥族打破・憲政擁護」をかかげる運動が全国に広がった。←第一次護憲運動、という。護憲運動の「護憲」は「憲政擁護」からきている。
桂太郎は新党(桂太郎の死後、立憲同志会(総裁加藤高明)を結成して対抗しようとしたが、護憲運動は強まる一方だったので、民衆が包囲する中、在職50日余りで退陣する。
なお、護憲運動は、第一次護憲運動(藩閥政治打倒)、 ( )に分けられ、両方含んだ大正時代の風潮を大正デモクラシーという。
次の首相は藩閥勢力でない人が期待されたが、薩摩藩出身で海軍大将の山本権兵衛(ごんべい)が組閣する。次回は第一次山本権兵衛。
14:20教室入室
14:25紀北農芸高2生母よりtel。本人咳が出るので休
15:00授業スタート。授業に入る。岩出小6生 確認テスト国3枚 復習、分数の割り算。約分し忘れがあるが、総じて理解できている。
15:30那賀高2生入室 教室内で自習(~17:30)
16:30授業終了
17:30那賀高2生退出
明日は漢検の日